「いぜるい~あ」取材レポート|”息し辛い世の中”のために出来ること
オーディションプラスでは、さまざまな団体にお邪魔して、取り組みを客観的に掘り下げていく企画「オーディションプラス取材レポート」を展開中です。
表現者を志す方、団体を運営されている方だけではなく、芸能活動の内情を知らない方々にも、この企画を通して表現活動の魅力を発信して参ります。
今回取材させていただいたのは、演劇の企画・支援などを行うユニット『いぜるい~あ』さんです。2020年12月16日から始まる舞台公演に向けて、現在稽古が進められています。
新型コロナウイルスの感染拡大防止に努めながら、舞台公演に臨む団体の現状を知るべく、稽古の様子を拝見させていただきました。
舞台『向こう側へわたる人』は、「息し辛い世の中で息し易く。」をキーワードに、家庭と学校、二つの場所で物語が展開される作品となっており、この日は「学校側」の稽古を取材させていただいております。
芝居への取り組み方に何か変化はあったのでしょうか。
取材・文:嶋垣くらら
舞台俳優・声優
Twitter:@kanikama444
いぜるい~あ
代表の佐々木一樹さんが演劇の企画、 制作、支援、スタッフなどの仕事を行う看板として設立。
ユニット通しの理念「人間賛歌、人間挽歌」をテーマに、テレビ・映画よりも、演劇よりも、お客さんに身近なところでどんな世情でも常に賛歌・挽歌を送り続けています。
演出:花房青也
役者。演出、作、ダンサー他としても幅広く活動。『HUMAN ERROR』として主宰もおこない、本多劇場グループの楽園等で毎年公演を行っています。
直近の活動として、2020年6月本多劇場Presents 小劇場楽園『MEET IN PARADISE』など。
コロナ禍においての、演劇への向き合い方
9月19日から、観客が大声を出すことが少ない演劇・コンサートなどのイベントにおいて50%以下の収容人数制限が撤廃されたものの、現在100%満席での舞台公演を行っている団体は決して多くありません。
舞台『向こう側へわたる人』は、客席を半数に減らしての上演が予定されており、関係者の新型コロナウイルス感染、緊急事態宣言の際は「いかなる時期でも即公演延期または中止」すると定められています。
このようなリスクを抱えながら舞台公演に関わる人たちは、どんな心境で臨んでいるのか。
この日は、緊張感のある現場を想像していたのですが、その予想に反して『いぜるい~あ』の稽古場には穏やかな空気が流れていました。
勿論、関係者の検温や、こまめな換気、消毒作業などは徹底されておりますが、感染予防により現場の空気が重くはなっていません。あくまで、出来る予防を尽くした上で、坦々と稽古が進められています。
稽古が始まると、まずは演出の花房さんとキャスト全員で円になりました。
「今日は何の話をしようか」
舞台についての話ではなく、それぞれの日常的な話をします。この日の話題は「今年のクリスマスの予定について」。
「出かけたいけれど、このご時世だから家でケーキを食べる」
「人混みが苦手だけどクリスマスソングは好き」
「特に予定はない、仕事をするだけ」
初めは一人ずつが間を持ってポツリポツリと話していたのが、次第に全員が話題に参加し、場が賑やかになりました。クリスマスというイベント一つで話が広がり、沢山の発見や共感が産まれます。
オンラインを介したコミュニケーションが積極的に活用されるようになりましたが、「わかるわかる」「いや、それはないでしょう」といった周りの反応を目の前で受け取れるというだけで、こうも会話がし易くなるのかと、直接会って話せることの意義に改めて気付かされます。
オンラインの弱点として「いつ話していいかタイミングを取りづらい」、「その場にいる全員が会話に参加しにくい」といった点が上げられます。
オンラインを活用した演劇の稽古や本番も、時代に即した試みとして非常に価値あるものですが、新しい取り組みに並行して、私たちが今まで当たり前にしていたコミュニケーションを見つめ直し、それをどう芝居に落とし込んでいくのかを、改めて考えてみることも必要であると感じさせられました。
芝居をする「用意」をしない
全員で会話をしたあとは、少し休憩をはさみ、台本の稽古が始まりました。
この稽古で特徴的だったのが、シーンを始める合図や掛け声がないことです。
通常、芝居の稽古をする際は「よーい、はい」といった演出の掛け声や、ぱんと手を叩いたりすることが多く見られますが、この現場にはそれがありません。出演者同士で「やりましょう」などということもなく、ただ稽古外のコミュニケーションの延長線上に芝居があるのです。最初に行われた、全員で輪になって会話をする効果はここで発揮されていました。
演技で台詞を言おうとすると、意識するあまり、不自然な呼吸や声の出し方になってしまうことがあります。
事前に他愛もない日常会話をし、自分が普段どう会話をしていたのか、どう息をして、声を発していたのかを思い出すことで、人がコミュニケーションを取る時の自然な状態を、そのまま芝居に生かすことが出来ます。
「演じる」という意識から抜け出し、演技でありながら演技でないかのような自然な姿を見せるのは、観客に伝わる表現として大切なことであり、良い演技をしよう、感動させようという役者の気負いは、観る側にも余計な緊張感を与えてしまいます。
役者が自然に息をすることで、観客にも息をし易くさせるのです。
演出の花房さんは、自身の価値観や理念を多くは語りません。
この稽古で行われていたのは、こうして動いてみたらどうなるか、こう意識してみたらどうなるかといった、芝居の道すじを探る作業であり、演技が始まれば役者は目の前で起きる出来事に「反応」をするだけです。
「役者がやったことに対して、『こうだよ』とは言わないようにしています。『そうしないで』までは言うけど、出来るだけ芝居は固めず、嘘がなく立っていてほしいです。芝居ってどうしても嘘だけど、それでも嘘がないように作りたい。正解はないので、やり取りさえしっかり成立していればいいと思います」と、花房さんは仰います。
この台詞の意図は何なのか、誰に向けての発言なのか、その時の心情はどうなのか。一つ一つを確認しながら繰り返しトライすることで、同じシーンの流れにも変化が出てきます。これを芝居として成立させるには、シーンに関わる全員が周りに集中し、ちょっとした変化にも柔軟に対応しなくてはなりません。
自発的に表現をしようとしなくても、台本と、周りの人間が導いてくれるものに身を任せれば、おのずと役の輪郭が見えてくるのです。
息し辛い世の中で息し易くなるために
日頃何気なく交わしている「今日なにがあった?」というような会話を、私たちはちゃんと出来ているのでしょうか。
言いたいことはあるのに言えない。答えはあるけれど正解はない。許してあげたいけど許せない。わかっているけどわからない。
「学校」と「家庭」、それぞれの場所で起こる、ささやかな人間関係の崩壊と再生が『向こう側へわたる人』では描かれています。
登場人物の生い立ちも、関係性も、説明的な台詞はなく、人物も多くの感情を発散することなく、内に抱え込んでいます。そして、抑圧されている感情が零れ落ちることで、次第に「息がしづらい」人間像が見えてくるのです。
作品内容とは裏腹に、役者自身は非常にリラックスして稽古をしている姿が印象的でした。
観客に情報を渡し過ぎず、わかりやすい提示をしないことで、それは現実味を帯びた生々しさとして伝わり、芝居と現実の境目があいまいになってくるような感覚を受けました。
「今まさに、そこで起こっている」ような感覚は、客席との距離が近い小劇場演劇ならではの大きな魅力の一つです。
この舞台に登場する人物の、捉えきれない人間模様を理解しようとすることで、作品の世界に入り込み、まるで自分の経験のように感動することが出来るのではないでしょうか。
他人をこれほど一方的に観察できる機会は、日常生活の中でそう多くはありません。見えない物を見ようとするために、舞台というものはあるのではないでしょうか。
筆者自身も自粛期間があったことで、劇場に足を運ぶ機会が少なくなっていましたが、この人間の奥底に潜む感情に肌で触れるような体験は、やはり生の芝居でなければ得られない貴重なものだと、稽古を見て強く実感しました。
「ここにいる人は、みんな理由があるんです」
話の舞台となる、保健室での台詞。何気ない一言に、色々な人の人生が込められているような気がします。
「演劇界の冬」を越えるために
演劇人にとっては耐え忍ぶ状況が続いています。
今公演を企画し、仮に無事出来たとしても、十分なまでの動員は望めないかもしれません。
それでも公演をやろうと思える、その原動力とは何なのか、話を伺いました。
佐々木一樹さん 出来ないから、始めました。こういう状況になって、周りの人が何も出来なくなってしまったので、じゃあやろうじゃないかと。脚本とか、やりたいことを持ち寄ってくれる人がいたので、僕はスタッフさんを探して連れてきたりして。みんなには、やりたいことをやってほしいなと思っています。僕は何も出来ませんが、せめて企画書の言葉はちゃんと書くように心がけています。参加してくれる人たちが迷わないように。
自ら土台となり、役者やスタッフの活躍の場を作る『いぜるい~あ』主催の佐々木さん。自分よりも他人を思いやる精神が、周りの人から「力になりたい」と思わせるのかもしれません。
花房青也さん これだけを聞くと矛盾していますよね。「出来ないから始めた」って。彼はやっちゃおうとか、好き勝手とか、そういう言い方をしがちなのですが、僕らに気を使ってそういう言い回しをしているだけで、ただ「やりたい」んです、普通に。「好き勝手」じゃなくて、本当に「好き」だからやっている。それは他の団体と変わりませんが、他と違うのは自分が一番になりたいとか、自分の意志で動かしたいとか、成功するためにやりたいと思っていないところではないでしょうか。だから、主催の佐々木さんには協力したいなと思えます。
鹿島裕介さん 嘘じゃなく、「自分は何も出来ない」って言える人はなかなかいないと思います。普通なら含みがあったり、「そんなことないですよ」って言葉を期待して言っていたりするものだけど、この人にはそれがない。本心で言っているだろうなって。
公演に参加するかどうかを考えた時、この団体でもし万が一のことがあっても「どうにかしたい」と思えるのは大きかったです。僕も主催を経験していますが、出演者として公演に参加している時は、どうしても出演者としての意識が十割占めてしまいがちです。意識していても他人事になってしまいがちな団体のことに対して、他人事にしないでいられるかもしれないと思えた。どういう場所に関わっても、どういう立場にあっても、勿論熱量を変えるつもりはありませんが、その気持ちひとつで、何かが起こったときに対応する姿勢は絶対に変わると思います。
「可能性がある限り、やり続けたい」という主催の心意気に感化され、集まったメンバー。初参加の方も多くいるそうですが、それを感じさせないほどに打ち解けあっていました。
上段左から、藤田順子さん、新里 凌さん、鹿島裕介さん、佐々木一樹さん
下段左から、品川あやかさん、花房青也さん
※撮影時のみ、マスクを外してもらっております。
この苦境に立たされたことで一層、「信頼関係を構築する」という、人と協力して作品を作る上で基本となる、大切なことを再認識させられます。
『向こう側へわたる人』の稽古場には、コロナ禍で行われていることが嘘のように、穏やかな時間が流れていました。しかし、決して浮足立っているわけではなく、しっかりと世間を見据えて、その上で「この場所で息をする」という選択をされています。今まで通り芝居と向き合い、いま出来る形でやり続ける。
息苦しいこの時勢を生き抜くためには、意識して楽に息をすることも、必要なのかもしれません。
取材を終えて
取材をする前に、この公演で掲げられている「息し辛い世の中で息し易く。」というキーワードを目にした時は、舞台上でその「息し辛さ」を表現するために、切実な思いで打ち込んでいるのだろうか。そんなことを想像していたのですが、予想に反して、役者たちは稽古場でとても楽に息をしていました。
息し辛い人を演じるために、意識して楽に息をすることは、一見矛盾しているように感じられますが、私たちは物理的障害がない限り、どんなに苦しい時もしっかりと呼吸をしているはずです。辛い時は生きている実感すら薄れてしまうものですが、そんな時こそゆっくりと、呼吸を感じてみるのもいいでしょう。
普段、無意識にしていることを意識的にするのは難しいことです。しかし、自分は今まで、演技というものを意識的にやりすぎていたのではないか、難しく考えすぎていたのではないか。『向こう側へわたる人』の稽古を拝見して、そんなことを考えさせられました。
演劇は作り物ですが、作り物という枠を越えて、自分のことのように観客の心に響いてこそ面白いものです。
芝居をする以前に、私たちは普段どうやって息をして、生活しているのかに注目してみることで、今後より新鮮な気持ちで芝居に取り組めるようになるかもしれません。
出来る対策をとった上で準備をしても、無事に公演が出来るかどうかは最後までわかりません。
ただ一つ言えることは、今行動することは確実に、私たちのこれからに繋がっていくということです。
辛い状況にあっても真っ直ぐに芝居を作り続ける、彼らの取り組みが少しでも未来を明るくしてくれることを願っています。
いぜるい~あ『向こう側へわたる人』の公演詳細
2020年12月16日(水)~20日(日)
池袋GEKIBA
チケット絶賛発売中!
劇場チケットのほか、オンライン配信チケットもあり。
詳しくは公式ホームページをご参照ください。
https://eselihah.wixsite.com/website